「あ、この車は……」
ある日の夕暮れ。
仕事を終え、車を自宅へ走らせている途中、
宿泊をせず、自宅から日帰りで通う介護保険サービスのひとつです。
お昼ご飯をいただいて、お風呂に入れていただき、
レクリエーションなどで楽しい時間を提供していただける施設。
日本の唱歌や童謡が好きだった母は、体調のいい日は、
CDに合わせ楽しそうに歌っていたそうです。
朝8時40分、デイサービスのスタッフの方に
自宅まで迎えに来ていただき、送迎車に乗せていただいて出発。
機嫌よく朝の挨拶からスタートする日もあれば、「行きたくない!」と
騒ぐ日もあり、さながら保育園に通っていた当時の息子のようでした。
「今日も一日、機嫌よく過ごせますようにって、毎朝、送迎車を見送ったよなあ」
目の前に灯るテールランプを眺めるうちに、いろいろなことが思い出され、
懐かしさなのか、切なさなのか、寂しさなのか、後悔なのか。
鼻の奥がツーンとして、慌ててしまいました。
ちょうどその時、私の車内にはフクヤマ(福山雅治)のバラード曲が……。
変わりゆく季節に尋ねても、君を想い出にはできなくて……
君を忘れることできなくて……
(福山雅治「そのままで…」1995年/作詞:福山雅治)
別れた恋人への想いを綴った歌。
でも、したためられたフレーズは、目の前を走る送迎車に引き出された母の面影と重なり、
空へ帰っていった母への想いそのもの。
切なく緩やかなメロディ、やさしい歌声、
そして黄昏はじめた空の寂しさも相まって、母を想う歌になっていきました。
歌や音楽とは、聴き手が受取るタイミングや環境、状況によって、
そのストーリーや世界観が変わってゆきます。
創る側の手を離れた瞬間から、受け取った人の数だけ新たなストーリーが生まれ、
育てられてゆくものなのだと実感したできごとでした。
……と書いてみて、文章にも、きっとそんな力があるはずだと思ったのです。
受取ってくれた一人ひとりが、それぞれのストーリーとして育んでくれることを願い、
強くやさしく、温かな文章を紡いでゆきたい。
誰かからそっと贈られた思いやりを、胸の奥でゆっくり温めたくなる喜びに。
身も心も疲れ切り、大切な人にやさしくできない切なさに。
愛した人のしあわせを、遠くから祈ることしかできない悲しみに。